アステル東京(現、TTNet)の歴史

アステル東京(TTNet)の独断と偏見に満ちた足跡です(^^;;)


サービス開始〜95年12月

NTT-p、DDIに遅れること3ヶ月経った、95年10月(東京)からサービスを開始。当初、3ヶ月遅れることから、「エリアについては開始時から広い」という触れ込みだったが、計画通りにことは運ばず、随分狭いエリアだったため、ユーザーから顰蹙を買う(確かにこの頃は狭かった)。また、都心の一部でDDIと同じ電波干渉を起こしたりもしていた(ちなみに、私が契約したのはこの年の11月)。特に、神奈川方面は電柱への設置許可がおりないばかりか、NTTは接続を拒むような姿勢をり、横浜に住む私としては、踏んだり蹴ったりの"ドつぼ"状態となる。
結局、アステルは計画を見直すことを余儀なくされ、12月頃に早速、新しいマップが出る(これにより、全然エリアが広がってないことを証明してしまった)。また、突然「留守番電話サービス」の告知があり、申し込みが殺到して、サービスの開始が大きくずれ込んだ。さらに、この頃から、電柱を押さえるべく、大量のCSを「とりあえず」設置するようになる。

96年1月〜6月

さて、「押さえ」に走った大量のCSは、NTT回線が"接続されても開通しない"状態が延々と4月頃まで続くことになり、混乱した(このころは、アステルに怒鳴り込み電話を随分かけたが、その中で、「NTTと接続されていることは外からは分からない」という、今でも意味不明の言葉を覚えている)。
4月を迎える頃になると、CSはやっと落ち着いてきたが、ここらへんから、Dポケの端末投げ売りに対して、アステルも投げ売りにでるようになる(ガシガシ値段が下がった)。また、4月に発行されたマップは、地方版の走りである「東京都心部版」と「横浜・川崎版」が出ている。さて、6月になると、待望の新機種が登場しはじめるが、アステルお得意の「情報先行」により、すべての機種が揃うまでには夏までかかるという有り様。特にA281が出るのが随分遅れた(なにせ自分で買ったからよく覚えている)。

96年7月〜12月

その後、秋に入り、高出力型(100mW)が横浜方面でも付けられるようになったが、稼動はすばやく、1ヵ月程度で動いた(このときは興奮しましたね)。しかしながら、相当急いで作られたCSだったため、特に東芝製、松下製のCSの出来がひどく、「エコーの東芝」、「送受信能力最悪の松下」という"タコ"CSを連発し、エリア拡大を狙ったのに、逆にエリア品質を落とすという最悪の状態に陥ることになる(その後、東芝製はソフトのバージョンアップをダウンロードさせてなんとか持ち直した)。
さらには、H型アンテナによるCSを街中などの穴埋めに大量設置するとともに、郊外に300mWCSの取り付けが始まる。この300mWCSは100mWの不出来を糧に、相当改良されたものとなっており、ひとまず廃人諸氏の支持を得る。

97年1月〜6月

97年初頭はまず、留守電のバージョンアップから始まった。この頃から、アステルはネットワークサービスを充実させるという方向に向かう。そして、97'4/1から、32k データ通信サービスが始まったが、なんと「対応端末がない!!」という前代未聞の状態となり、しかも、それが1ヶ月以上も続くという、これまた、信じられん状態になる。よって、端末が発売されたのは、5月の連休明けであった(なにせ、社長が「遅れは取り戻せる」とか、悠長なことを言っているくらいだし)。
そんなドタバタを経て、夏前までは特にこれといったことはなかったが、夏に入ると俄然元気になり、300mWCSのY型アンテナ、Dポもどきアンテナ建物設置型の大量設置が始まり、家の近くに付いたCSなどは、わずか21日で稼動するという早さを記録するなど、やる気十分!。郊外エリアの拡大より穴埋めに重点を置いているのがよく分かる。この頃から、カタログなどでもエリアの広さや充実度をアピール。事実、アステルではビジーはほとんど発生していない、と言われている。
また、端末に目をむけると、32k対応端末のなかでも、期待度No.1であったAD-11が6/28に発売になるや、廃人の間で大人気となり(実用度大のため)、電測なしでこれほどもてはやされた端末はそんなにないと思うのだが・・。 なお、5/20からはモジトークが開始されるとともに、6/1からは着信メロディー呼出サービスも開始され、ネットワークサービスの充実ぶりが際立ってくる。

97年7月〜12月

その後、一般の人にもAD-11人気がでてきて、アステル端末の売り上げの半分近いとも言われる端末になった。また、廃人の間では「PA(パワーアンテナ)に対応している」という点でも注目の端末であったが、そのPA本体がいつ発売となるか、6月頃では不明であったため、物議をかもしたが、結局、8/19になんとAD-11所有者は無償で貸し出し、その後2年間使用でプレゼントという、思っても見なかった方向で決着。廃人諸氏がショップに走ったことは言うまでもない(爆)。なお、このサービスはその後発売された、PA対応端末のユーザにも広げられ、これが新規加入者の獲得に大きく貢献し、各社契約者数が低迷するなか、アステルのみ増加するという、嬉しい悲鳴を上げることになった。また、端末のラインナップもAT-15をはじめとして、注目端末が登場するも、結局AD-11の過去最高の出来に、かすみ気味・・・。
さて、エリアについては、実感できるほど拡大&充実しており、アステルもこの点を強力にアピール。地域によっては、ダントツなところもあり、サービス開始当初が泣けてくる(笑)。CS関連では、"1416の留守電検索が高速化している"という現象から、アステルに問い合わせると、「同期確立した」という情報がもたらされた。

98年1月〜6月

昨年から言われていたことであるが、PHS各社の経営状態が悪化し、非常に苦しい98年のスタートとなる。
まず、アステルは、役員数を半減させた上に、社長を交代。エリアの拡大を春頃で打ち切り、すでに設置さてれいるCSの稼動を目指すだけとなり、ほとんど新規エリアインした所は無い状態になる。さらに、販売インセンティブを、4/1付で大幅にカットして、新端末(新規契約・機種変とも)が軒並み3〜4,000円以上アップする事態に。カタログもまともなモノが出ないし、CMも激減している。余談であるが、今年度の新規採用は見送りになってしまった(T_T)。
ただ、2/18にNパが突如、会社の清算とDoCoMo各社への譲渡を発表するに至っては、まだ、アステルはマシなのかもしれない。株主が見放したら、今のPHS各社はNパのようにならざるを得ないだろう。
しかし、暗い話しばかりでも無い。まず、待望の長期契約者割引を初めとする、料金プラン見直しを5/1から行ったほか、3月には名機「AD-11」の後継機である「AD-12」やAT-16、AP-15などの新端末が登場し、廃人諸氏に評価を得ている。また、PAの無償貸出も続けられており、ここは評価されても良いだろう。さらに、CSの新規設置が減った分、すでに設置されながら稼動していなかった地下鉄などのCSが、こぞって開通しており、ある意味(笑)ユーザーには嬉しい話しになっているし、ハード面への投資が厳しくなったので、ソフト面での進歩が見られるようになってきている。まあ、皮肉ではあるが・・・。

98年7月〜12月

今から考えれば、MOZIOへの助走期間だったともいえるかも知れないが、夏には大きな動きが無く、資金不足からか「ちゃれぴー」からPHSコースが無くなり、廃人諸氏からかなりのブーイングが出る(^^;;)。
その後、9月に入ってから、待望のAD-31・AT-31・AJ-25・AP-21が発表され、それとともに、新サービス「MOZIO」がスタートすることに。10/7日には、ADを除く3機種が発売され、各地で廃人が気を失い(笑)、翌8日には自身もADで沈没(自爆)。これにより、PHSのコンテンツサービス競争が始まることになり、早速、Dポが12月よりPメールDXから反撃する構図になった。
しかし、12月と言えば、PHS界を震撼させたNパのDoCoMoへの合併が1日に行われ、3年余り続いたNパは消滅した。いろいろ、裏には動きがあったようだが、それを差し引いて考えても、現状のPHS業界がいかに苦しいかを物語る一件であったと言えるだろう。いずれにせよ、DoCoMoがどういうサービスを仕掛けてくるのか、見物である。
そして、年末も押し迫った12月に、アステルが新料金プランを発表。1,350円/月のエントリープランと、980円/月でかけ先3件限定のきめトークと言う、Dポの後追いなプランが登場。いずれも、開始は99年1/1よりで、既加入者は2/1からの適用。まあ、あるに越したことはないが、もう少し独自色を出して欲しいと思うのは、私だけではあるまい。

99年1月〜6月

新春早々、AD-31の11桁バグのため、てんやわんやの状態となる。何せ、大々的に端末のファームアップ改修を行う羽目になったからである。結局、このバグ対応のためデンソーは大変な損失を出したと見えて、後々、問題になる・・
その他では、1月半ばあたりから、異交換局ハンドオーバが完成し始め、市境・県境またぎでのテスト結果が、廢人から続々と上がり始めた時期でもある。結局、1月末にPHS3社の連名により、公式にアナウンスされた。
また、当初春からと言われていたe-mail接続は、早い段階からきな臭い事態になり(笑)、大方の予想通り春からは行われなかった。これは、4/1のTTNetへの合併が大きく影響したと見える。もちろん、影響はこれだけにとどまらず、春商戦にも関わらず新端末が出ない、エリア展開なし、64k話などどこ吹く風等々、廢人としては不満な春を過ごすことに。
その後も何の展開もなく、着メロとMOZIOコンテンツの追加だけで乗り切られた(苦笑)。

99年7月〜12月

7月に入ると、郵政省のPHS掘り起こし施策とでも言おうか、高速ハンドオーバー機能を搭載した端末が登場。
アステルでは、先陣を切って松下からAP-32が出るも、さすがはPと言う感じで、従来機種との差があまりハッキリしないと言う結果に。「まあ、松下端末だから・・」と言ってしまえばそれまでだが、機能面ではメール機能を強化するなど、まあまあの出来だったので、ごく標準的な評価を得るにとどまる。
続いて登場したのが、AJ-32。RF部を2つ搭載し、ハンドオーバー時間が従来機種の1/50になるという、さすがは無線屋!と言うべき仕様で、廃人もこぞって期待したのだが・・・これが大外れ。「高速」以前の問題で、ハンドオーバ成功率がAD-31の60%程度にとどまり、見事なまでに期待を裏切った。その後、「密かに」ファームアップ施策が行われるも、根本的な解決には当然至らず、多数の廃人から見捨てられる結果となった。
PHS端末1号機とか、初期ロット端末とか、今までヘッポコだった端末は数あれど、これほどまでに意味無く酷い端末は史上最高である。これ以来、JRCに不審を抱くようになったのは私だけではあるまい。
また、10/15から待望のe-mail接続サービスが始まったが、あまりに操作性が貧弱なため、開始早々にこれまた見捨てられる。同業他社と比較しても、あまりに阿漕な料金設定、各種設定の煩雑さ、そして何より対応端末と呼べる端末が存在しない、など最後発でありながら、使い物にならないサービスとなっている。
いずれにせよ、99年後半は非常に不満なシーズンとなったことだけは確かである。

00年1月〜6月

2000年一発目の話題は、新料金プランから。
いわゆるコミコミプランである、「コミコミスタンダード」が登場。携帯の後追いと言えばそれまでだが、選択肢を増やすことは悪いことではない。ただし、個人的には好きなプランではないなぁ・・(^^;;)
あと、同じタイミングで「年間契約割引(ねんびき)」も登場。このオプションをつけた(契約した)時点からの契約継続年数で割引されるのだが、いわゆる回線契約の年数とは関係ないのがドコモと違うところ。さすがにそこまでは無理だったようだ(苦笑)。
ちなみに、コミコミプランはこのあと2種類追加され、料金プランはかなりの数になっている。そういう私は、当初契約から全然変わってないが・・
なお、この新プランと前後して、待望の「まっTEL」が開始されたのだが、内容を見て落胆。関西のそれとはまったく別物で、基本料あり・機種指定・持ち込み不可とメリットゼロ。AN-X1のために用意された感が強いが、それにしても基本料が発生するあたりが情けない。
2月に入ると新端末がアナウンスされ、AJ・AT・APがラインナップする。当然のことながら、史上最悪端末であるAJ-32からどう変わったかが注目のAJ-33だったが、32を早々と切り捨てたのが功を奏し(笑)て、初期ロットのバグを除くとそこそこの性能を叩き出した。まあ、同時期にでたAT・APが期待するほどの性能を出せなかったのも、AJにとっては追い風になったといえる。
その後、アステル側でも高速H/Oに対応すべく、CSの同期取り直しなども行っており、後半へ向けて何とか体制を整えつつあると言う感じとなっている。