◎NC13Dに関する批評(利用時間:約1000時間)

97年12月〜98年12月までの1年間、メイン機として内に外に活躍してくれました。
TP235の導入に伴った予備役編入をするにあたって、彼と私の関係の総括をしてみたいと思います。



スペック NC13Dの詳細はこちら

CPU Pentium-133MHz 保証期限:1999年2月23日
メモリ 48M(VD8-32を増設) 追加購入:大容量バッテリー×3本
HDD 1 Gbytes 165,650円(本体+メモリ32M+増設BT×3本)
大きさ/重さ A5ファイル/約1.2Kg  

総評
私は存分に使わせてもらったという気持ちですが、1年という期間はPCの中でもちょっと短かったかな?なんて思ってます。

NC13Dにしたメリット

☆外部要因
・価格が安い(本体+メモリ32M+増設BP*3+税=約166k)
  特に増設バッテリーの安さは、売れないとは言え特筆に値する。
  (他機種で同等の装備を整えたら、それだけで30〜50kする)

☆ノート型であること/「これでなければ意味がない(苦笑)」
・小型軽量(A5 Size,1.2Kg)
・レジューム可
・PCカード対応(PIAFS通信可)

☆仕様上の便利さ(比較対象:同基準のNOTE)
・キーボードがそれなりに打てる

デメリット
(▲で表示されている項目は一長一短で、一面的な評価ができません)
☆明らかにバグ
・バッテリー持続時間が短い(内蔵:30分、内蔵+増設:120分程度)←致命傷(;_;)
・省電力設定プログラムによるチェックが甘い(CPUやLCDの設定が100%or50%しかできず不便)

#バッテリーが弱いのは設計のせい??
#他の製造ロットでも同様の不都合があったようです


でも、増設バッテリーが3本あるとさすがにバッテリーが足りないことは滅多に無いですね。

☆HDDのアクセス音がとてもうるさい
・TOSHIBA製。サブ機になったことでHDD換装計画は立ち消えに。

☆仕様上の不便さ
▲WiN95のバックアップがFD、しかもユーザ責任(CD-ROMで供給して欲しかった)
▲FDD、マウス装着がコネクタ経由
▲内蔵バッテリーが着脱不可
・表面が傷つきやすい<外装が剥がれやすいのはなんとかしてくれ(-_-;)>→富士通
・ROLL UP/DOWNキーが無い(データ閲覧時に非常に不便)
・強烈な発熱(ACアダプタ、本体共に) 夏場はクーラー全開な所か、夜間しか使えません(苦笑)

☆価格的に仕方ない不便さ
▲HDDが1G--------->近いうちに3.2Gにパワーアップさせる予定→立ち消えになりました(;_;)

彼とともに歩んだ歴史の数々

時期 出来事
1997年
11月辺り
今まで使っていたマシンがNECのPc9821-Ap2(94年製、486DX2-66MHz)という年代物で、当然PHSを使った通信ができるはずもなく、「そろそろノートを!」ということで物色を始め、その中で彼と知りあう。
そういえばに某所の倉庫の中で一人ぼっちでいたのを思い出し、引き取るかどうかを熟考する。
12月14日
購入。諸事情により購入までに1ヶ月を要した、思い出深い端末。
年末
バッテリーの充電や使用時間が異様に短いことに気づくも、富士通はすでに年末休みに入っていた。
1998年
1月6日
購入した店で修理に出す。1週間後に返却された時は「マザーボード交換」であった。
2月20日
相変わらずバッテリー駆動時間が短いのに業を煮やし、直接Fsasに持ち込む。
2月23日
結果、HDD以外、新しいマシンと交換することに。早速新しくなった彼をひきとりに行く。前の彼は少しばかりガワの塗装が剥げ気味であったので、ちょうどよかった。しばらく様子を見てみることになる。
2月末
北海道PHS-OFFに参加。これが彼のお披露目デビューとなる。
3月〜4月初頭
春の陣に参加。この中で、「バグがあってもバッテリーが持たない中で使う知恵」を彼から学ぶ。
4月以降
学校にもバイト先にも常に彼とともに歩む。大抵の人はその小ささとパワーに驚いており、そんな時は鼻高々だ。
目の前にないVAIOより(実は結構欲しかった)、今手元にあるNC13Dの方が役に立つのだ。実際、授業をノートで記録していた中で知り合った友人は多い(はず)。
5月
北海道PHS-OFF参加。このときは刀狩りで彼も撮影に被写体として参加する。参加したPCの中で最もサイズが大きい事が役立って堂々のまん中での撮影となった。ちなみにその写真をプリントアウトした物が今でも部屋に貼ってある。
7月〜8月
夏の陣に参加。 ここでは日記の執筆に掲示板への書き込み、そして店の目の前で商品情報を収集したり(笑)と大活躍してくれた。だが、この頃からバッテリー以上にHDDの空き容量の問題が深刻になってくる。だがノート用の内蔵HDDは高くて結局手が出なかった。
9月
大OFF参加。最近のOFFと名の付くものには多くの方々が参加していただけるので、彼をいじる暇はほとんど無かった。
11月
やっぱり彼の体力(CPU)はかなり厳しい。 この頃から新マシンの選定を密かに行う。もちろん彼には内緒だ。
12月初頭
ある日いつもと同じく学校へ持っていくと、彼は動いてくれない。なんと充電したばかりなのにバッテリー残量が0になってしまうという恐ろしい病気にかかってしまった。おろおろしてみたが、ACアダプタをつなぎ、輸血を行うことで彼は再び立ち上がった。きゃん、ほっとする。
12月中旬
ある朝、起床後すぐに彼を起こそうと蓋を開くと、彼はつめたくなっていた。「またか」と思ってACアダプタをつなげてもぴくりともしない。おかしいと思って病院へ連れていく。
12月20日
衝動的にTP235に浮気する。NC13D君が帰ってきた時、既にかれの居場所はなくなっていた・・・。
1999年
4月中旬
パソコンを物色していた友人に売却。
2000年  
友人から壊れたとの連絡あり。保証期間が過ぎているので修理はしないとのこと。こうして手元に来てから2年程でこの世を去ったのでした。